
人生100年時代 に向けて
歯科医療においても人の一生を長期的に俯瞰し、小児期から高齢期迄ライフステージに応じたかかわりが求められています。
特に高齢期においては健康寿命の延伸に向けて、オーラルフレイルや口腔機能低下症へのアプローチが重要ですが、老化をはじめとしたさまざまな課題はその前段階である中年期から始まっています。
それらを中年期の患者さんにどう自覚してもらい、どう対応していったらよいか、“食べる力”の大切さ。“食べる力”から患者さんの“生きる力”を支えていくお話をいたします。
診療室で患者さんの口腔を診察すると、その人の生活や習慣が見えてくることがあります。
特に、高齢者の口腔は、過去の歯磨き習慣も含め、これまでの食生活を大きく反映しているため、われわれ歯科医療従事者が、それに気づくことは健康寿命の延伸に向けて大切なきっかけ作りとなります。
つまり、高齢になる前から歯科治療に加え、診療室でちょっとした食事(栄養)または口腔機能の維持・向上に対するアドバイスを行うことは歯科から始める健康づくりの第一第一歩として非常に重要な役目を担っているのです。
突然ですが、「宇宙人の顔を描いてみてください」このお題を出すと、実際に宇宙人と遭遇したことがないのに、また、誰から教えられたわけでもないのに、非常に小さい口をした宇宙人を描く人がほとんどです。
幼少のころ、テレビや雑誌で見た残像なのかもしれませんが、そもそも、なぜわれわれは未知なる宇宙人の口を小さくイメージするのか不思議ではありませんか?
時代とともに変化してきた食文化(生活)
時代を遡ってみましょう。古代人の食事は硬いものが多く、現代人の食事と比較すれば一食あたりに必要な咀嚼回数は6倍も多かったといわれています。具体的には、弥生時代の食事が3990回の咀嚼を要するのに対して、現代の食事は620回といわれています。
(図)古代人と現代人における顔貌と食事の比較時代とともに食文化(生活)は変化し、顔貌・骨格や口腔機能の発育に影響を与えてきたと推察される
古代の食事は雑穀や乾燥した木の実、干物など硬くて、噛み応えのある食材で構成されていたため、よく噛まないと飲み込めませんでした。したがって、おのずと咀嚼回数が多かったと考えられます。
そして、時代とともに食事は変化します。特に調理法の改良が進み、軟らかいものを食べる機会が増えたことは、現代人の咀嚼回数を激滅させた大きな要因といえます。
この現象は社会の変化とともに急激に加速し、人類は進化の過程で咀嚼をさほど必要としない食文化を築いてきました。
最近では、コンビニエンスストアやスーパーマーケットに行くと、「飲む○○」といった食品の陳列をよく見かけます。
時間がなくても手軽に空腹を満たせるため、若年層を中心に人気のようです。
エネルギーも栄養もすべてが液体、あるいはゼリーや錠剤として飲み込むことで、食事にかける時間を短縮し、手軽に栄養摂取しようという発想なのでしょう。
これこそが咀嚼を必要としない究極の食事(嚥下食)なのです。
噛むことをしなくなった現代人
しかし、本来、嚥下食は、医療や介護の現場で上手く噛めない人への代用食としての位置づけです。
噛むことができる人に、噛まずして飲み込む食習慣が定着すると、知らないうちに咀嚼機能は退化し、口腔は衰えて自浄性も悪くなります。
また、顎は十分に発育せず、生じた顔の発育不全が、次の世代に継承されます。
その結果、骨格は華奢で細長い顔貌となり、現代人では虚弱化した口腔の形態的ならびに機能的な異常が増えているのです。
つまり、人類の咀嚼回数は減少し、それは進化の過程で次世代へと継承されました。
その結果、顎や口腔の形態的および機能的衰退が進行し、さらに咀嚼しなくなった現代人はその環境に適応しようと新たな食文化を構築してきたのです。
それゆえ、些かミステリアスな話ではありますが、われわれは、ひょっとして、未知なる宇宙人の姿に噛まない食習慣の成れの果てにある未来人の姿を投影し、小さな口をした宇宙人を描いているのかもしれません。
そこで、人間の“食べる力”にスポットをあて、食べもの(栄養)の入り口である口腔の役割と食生活の関係について咀嚼と嚥下の観点から考えてみましょう。
ライフステージにおける“食べる力”の意義
“食べる力”とは何か考えてみましょう。
捕食と咀嚼と嚥下
人間は食べるときに、目の前の食べものを脳で認識し、その食べ方(一口量や大きさ、食具の選択など)を判断してから口を開けて捕食します。その後、咀嚼しながら形成された食塊は舌の運動によって口腔から咽頭へ送り込まれ、嚥下反射により咽頭から食道、そして胃へと移送されます。これを1983年にLogemannが“摂食嚥下の5期モデル”として提唱しました。
(図)摂食嚥下の5期モデル食物を認識し、口腔に取り込んで食塊を形成してから咽頭・食道を経由して胃に至るまでの一連の過程
“食べる”という行動において、口腔の咀嚼運動や咽頭の嚥下運動は非常に重要な役割を担います。
前述のように、よく噛んで飲み込むことは、顎の発育や唾液の分泌、脳の活性、胃腸の補助などさまざまな効用に期待でき、まさに咀嚼は健康の保持・増進には欠かすことができません。
しかし、人間は口腔と咽頭のみで食べているわけではありません。
脳における食事の記憶・判断や食欲、胃腸の調子などさまざまな要因が複雑に関与するため、“食べる力”の意味とは、広義では「口腔から食物を自発的に摂取し、健康維持に必要とされる栄養と心理的満足を十分に獲得すること」ではないかと考えます。
一方、機能的な問題に特化すると、狭義では「咀嚼により食塊形成し、誤嚥や窒息なく嚥下できること」ととらえられ、医療や介護の現場では食べることに対する安全管理や尊厳に配慮し、咀嚼訓練や摂食嚥下リハビリテーション、または食形態の調整・選択、食事介助が行われています。
つまり、“食べる力”とは“最期まで人間らしく生きる力”といっても過言ではありません。
“食べる力”は活きる力
食べることは人間にとって栄養摂取だけでなく、心の癒しや楽しみ、心理的満足にもつながるため、まさに“生活”の根幹といえます。
“生活”という文字をよく見ると、“生きる”と“活きる”という2つの“いきる”が含まれています。
“生きる”が生物学的寿命(平均寿命)とすれば、“活きる”は元気に活動できる寿命(健康寿命)を意味します。
さらに、“活”という文字は“(さんずい):唾液をイメージ”と“舌”から成り立ちます。
つまり、“活”は、口腔機能を表している文字といっても過言ではありません。
胃ろう造設によって寝たきりの状態で“生きる”だけでなく、口から食べることを希望する患者さんや家族がいれば、その可能性を見出し、現状の咀嚼や嚥下機能に見合った食事の在り方を指導・提供することは、口腔の専門家である歯科医療従事者の使命ではないでしょうか。
“食べる力”はいつから衰退する?
ライフステージにおいて“食べる力”は変化します。特に、“老化”によって衰退することが問題となっており、健康寿命にも影響します。
“老化”はいつから始まる!?
“老化”と聞くと、どんな状態をイメージしますか。背骨が曲がって杖をつきながらトボトボ歩くおじいさん?それとも、歯がなくなって口元がシワシワになったおばあさん?
このように、“老化=老人”というイメージは拭い去れません。
しかし、信じられないかもしれませんが、“老化”は20~30歳ころから始まっています。
正確にいうと、加齢の影響のみで生じる“生理的老化”は、あらかじめ遺伝的にプログラムされている現象(内在性)であり、個人差はありますが誰でも起こり(普遍性)、不可逆性(進行性)で、身体や精神に現れる状態は生体の生命維持にとって不利益(有害性)な現象であるとStrehleは提唱しています)老化の4原則。
(図)生理的老化(physiologicalaging)生理的老化はあらかじめ遺伝的にプログラムされている現象(内在性)であり、個人差はあるが誰でも起こり(普遍性)、不可逆性(進行性)で、身体や精神に現れる状態は生体の生命維持にとって不利益(有害性)な現象である
つまり、老化とは生きるうえで、時間の経過とともに誰もが経験する“生物学的活動性の衰退”といえます。
そして、加齢に伴い、環境的にも身体的にもさまざまな変化が起こり、例外なく“食べる力”も衰えます。
侮れない“オーラルフレイル”
若いころは、味つけの濃いもの、脂っこいもの、硬いものなど気に入ったものは、お腹いっぱいになるまでたくさん食べることができます。
しかし、加齢とともに“老化”が進行するとそうはいかなくなります。
身体活動や代謝量が低下することによって食生活や食習慣は変化し、一度に摂取できる量も少なくなります。
また、食欲はあっても歯数の減少や舌圧の低下により食塊形成が上手くできないと、食べたいものを思うように食べることができず、食事の質は低下します。
本人はなんでも食べているつもりでも、無意識に噛めない食品を避けるようになり、手早く空腹が満たされる軟らかい麺類やお茶漬けなどを中心とした、炭水化物偏重の食生活に変化してしまうようです。
これでは、カロリーを摂取できても栄養のバランスが悪く、特に、咀嚼を必要とする肉類を食べる機会が少なくなると、タンパク質が不足し、筋肉量が減って身体機能はさらに落ちていくことが危惧されます。
これが、いわゆるオーラルフレイル(口腔の虚弱)も含めたフレイルの悪循環です。
また、オーラルフレイルは、認知症の早期発症を招く精神的フレイルを助長することも懸念されていて、“食べる力”の衰えが“老化”に伴う多様な問題を連鎖的に加速させてしまうと考えられます。
さらに、恐ろしいことに、オーラルフレイルは高齢者に限った問題ではないようです。
42歳の女性がオーラルフレイルの進行がもとで、友人と食事に行くことなど外出が億劫となり、休日の引きこもりが増え、社会的フレイルに陥ったケースもあります。
(図)オーラルフレイルとフレイルの関係フレイルには身体的、精神的、社会的な要因かある。オーラルフレイルは、フレイルの前段階であるフレフレイルに該当する。ロ腔機能が虚弱になると、栄養や体力、QOLの低下を助長する恐れがあり、各フレイルの誘因となる
食生活の変化から、食べる力、生きる力、口腔の虚弱についてここまでお話ししました。次回はここから、意識すること等をお話ししていきたいと思います。
関谷 デンタルハイジーン参照